1024号室

納得のいく首輪を探しています

夢遊病

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今まで僕は、たくさんのことを夢見てきた。つまらない現実に追い回されながら、逃げるように夢を追ってきた。

 

夢は、追えば逃げて行った。掴もうとすれば、煙のように消えた。一体どこに行ったんだろう。とんと見当がつかない。カーテンの裏、ポケットの中、古いノートの始めのページ。どこにもない。気づいたら無くなっていた。

 

夢とはなんだろう。夢が叶うとは、夢が叶わないとは、なんだろう。

 

橋の点検をする作業員、赤ん坊を抱いた母親、そして、文章を書いている僕。

 

夢とはかけ離れた、いつもと変わらない現実が、いつもと同じ場所にある。

 

僕は、継続ができない。つまり、努力力が無い。小さい頃からずっとそうだった。サッカー、空手、楽器、十代の頃に始めて今になっても続いているものは何もない。それぞれの場所で、夢を持っていた。

 

努力が足りなかったから、夢は叶わなかったのか。夢へ向けた努力のハシゴの長さが足りなかった。だから、夢が叶わなかったのか。

 

多分、そうじゃない。ハシゴは、足りすぎるほどに足りていた。

 

人間の夢は叶っている。常に、叶い続けている。というのも、自分を鑑みるに、夢というのは、理想像というのは、よくよく考えてみると、大抵、ただの現状の裏返しだったりする。

 

今の生活が認められない。こんなの嫌だ。だから、〜になりたい。〜でありたい。今が要らないから、これが欲しい。今日を愛せないから、明日に行きたい。今を捨てるための口実として、夢を見ている。現実から目をそらすための手段として、夢の方を見つめている。

 

そうやって自分を騙しながら、夢を追う。夢を追い回して、疲れ果てる。そして、自分の部屋で落ち着いてみる。

 

そこで、夢が叶う。

 

つまり、おそらく、殆どの人にとって、心の底で願っている、当人も気がつかない夢というのは、安全であることだ。波風が立たず、当たり障りの無い、静寂を求めているだけだ。

 

これは、叶う。毎日毎日。

 

日が暮れて、喧騒を切り抜けて、部屋に入り、ベッドに寝転んだら、そこは、夢にまで見た桃源郷だ。そこにたどり着きたかったんだ。

 

夢は叶っている。だから、努力の必要がないと、深層が判断している。だから、努力ができない。なぜなら、その必要がないから。

 

スタートを切れない人間なんていない。それでもそこに立ち止まって動き出せないのは、ゴールに着いてしまったからだ。だから、もうどこにも行かなくていい。何も、追わなくていい。

 

これで、夢があるのに努力が出来ないという状況が出来上がる。追っていたつもりで、追いかけられていたんだ。現実に。

 

でも、安全は本当の夢じゃない。恐怖に、臆病に、蝕まれた夢だ。沢山の人が、多種多様な夢を持っている。それを、嘘とは僕は言わない。ただ、その疾走は、本当に追跡なんだろうか。

 

本当に夢を叶えたいなら、勝手に育ってしまったこのくだらない夢を捨てるべきなんだ。ハンターのつもりが、いつしか獲物になっているかもしれないんだ。

 

もうすぐ夜が来る。億の夢が叶う。

 

人々の傷に膿んだ夢が、本当の夢を吸って、ため息の中に花開く。

 

刻一刻と、夢は夢であり続ける。

 

僕が本当に欲しかったものは一体なんなんだろう。今日も掴み取った、いや、掴み取らされた安全が、夏も冬も、全ての年月を喰らい尽くすのを、ただ手をこまねいて見ているだけなんだろうか。

 

努力とはなんだろう。

 

自分の本当に願った夢を、この、底にこびりついた欺瞞の夢から、掘り起こすことだ。

 

全ての夢は叶っている。そんなことを思って、ベランダから見慣れた風景を眺めてみる。本当に望まれて、本当に叶えられた夢も、どこかにはあるはずだ。

 

 

 

 

そうだ。

 

叶えられた夢だ。

 

整備を受けたあの大橋も、母親に抱かれていたあの赤ん坊も、もしかすると、ここでうなだれている僕でさえも、誰かの叶えた夢なのかもしれない。      2019.08.21