無題
さあ、何を書こう。
少し前から、ブログというものを読みだして以来、ずっと自分もやってみたいという衝動に駆られてきました。文章が好きで、意見や考えを知るのも好きです。たくさんの人が、その人なりの考えを、人生を示している。
鋭い観察、抑圧してきた感情、叶えた夢、憎悪、遺書のようなもの。顔も名前も知らない遠い隣人の言葉。
僕は、拙いものも、巧みなものも、芯のある言葉が好きです。 言葉に救われてきた。言葉に絶望してきた。言葉に翻弄されてきた。言葉に導かれてきた。 どの思い出を振り返ってみても、印象的な言葉の付箋が貼られている。良いもの悪いもの含めて。
言葉に育つことができなかった感情、思いは、今も僕の中で逆巻きに渦巻いている。
僕は、喋るのが得意じゃありません。安易な言葉が嫌いだ。嫌いな言葉は大抵安易だ。インスタントな言葉が嫌いです。そういうものは、インスタントのくせに、すぐ腐る。
腐った言葉をたくさん聞いてきた。たくさん信じてきた。そして従ってきた。一応は生きながらえてきました。それは僕の命綱になりました。でも、自分の足で進もうとした時、その命綱は鎖に変わりました。はるか後ろの楔に繋がれて、一歩も進めない。
そんなこんなで、僕は病気になりました。自分には価値が無い。そんなありがちな苦悩と生きてきた。ありふれていて、つまらない。でも、背筋が凍るほど残酷な事だ。 逃げ込んだ先は、言葉の専門家たちの所だった。詩人、哲学者、文学者、ミュージシャン。輝かしい言葉を知って、僕の世界は広がった。間違いなく、何かが変わった。それでも何か足りない。
そこで、自分で何かを書いてみようと思いました。自分だけの言葉を作ってみようと思いました。
もうそうすることでしか、どこへも行けなくなった。他人の尻馬に乗っていけるところには全部行った。自分で何かを作らなきゃ、もうどうしようもなくなった。
物事というのは、見方によって、姿を変えるそう。つまり、全ての言葉は嘘になりうるらしい。僕を折った言葉も、救った言葉も、同じように嘘の一種らしい。
それならもう開き直って、とびっきりの嘘を書いてやろう。どんな人間も騙されるような、出来のいい嘘をついてやろう。
偽ったからといって嘘になるとは限らないし、本音を言ったからって、それが直接真実でもない。 ただ、悪意なんて一つも持たずに、思いつく限りの素晴らしい嘘を書いていこうと思います。誰かの真実になりうる嘘を、僕もついてみたい。
言葉にこそ全てがあって、言葉にできないものなんて何一つ信じない。そんな幻想の中で死んでいくことに決めたから、やっと現実に一歩踏み出していける。
ただ、幕を下ろすにはドラマが足りない。ペンを置くにはインクが余ってる。
さあ、どんな嘘を書こう。 2019.5.16