1024号室

納得のいく首輪を探しています

無題

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さあ、何を書こう。

 

少し前から、ブログというものを読みだして以来、ずっと自分もやってみたいという衝動に駆られてきました。文章が好きで、意見や考えを知るのも好きです。たくさんの人が、その人なりの考えを、人生を示している。

 

鋭い観察、抑圧してきた感情、叶えた夢、憎悪、遺書のようなもの。顔も名前も知らない遠い隣人の言葉。

 

僕は、拙いものも、巧みなものも、芯のある言葉が好きです。 言葉に救われてきた。言葉に絶望してきた。言葉に翻弄されてきた。言葉に導かれてきた。 どの思い出を振り返ってみても、印象的な言葉の付箋が貼られている。良いもの悪いもの含めて。

 

言葉に育つことができなかった感情、思いは、今も僕の中で逆巻きに渦巻いている。

 

僕は、喋るのが得意じゃありません。安易な言葉が嫌いだ。嫌いな言葉は大抵安易だ。インスタントな言葉が嫌いです。そういうものは、インスタントのくせに、すぐ腐る。

 

腐った言葉をたくさん聞いてきた。たくさん信じてきた。そして従ってきた。一応は生きながらえてきました。それは僕の命綱になりました。でも、自分の足で進もうとした時、その命綱は鎖に変わりました。はるか後ろの楔に繋がれて、一歩も進めない。

 

そんなこんなで、僕は病気になりました。自分には価値が無い。そんなありがちな苦悩と生きてきた。ありふれていて、つまらない。でも、背筋が凍るほど残酷な事だ。 逃げ込んだ先は、言葉の専門家たちの所だった。詩人、哲学者、文学者、ミュージシャン。輝かしい言葉を知って、僕の世界は広がった。間違いなく、何かが変わった。それでも何か足りない。

 

そこで、自分で何かを書いてみようと思いました。自分だけの言葉を作ってみようと思いました。

 

もうそうすることでしか、どこへも行けなくなった。他人の尻馬に乗っていけるところには全部行った。自分で何かを作らなきゃ、もうどうしようもなくなった。

 

物事というのは、見方によって、姿を変えるそう。つまり、全ての言葉は嘘になりうるらしい。僕を折った言葉も、救った言葉も、同じように嘘の一種らしい。

 

それならもう開き直って、とびっきりの嘘を書いてやろう。どんな人間も騙されるような、出来のいい嘘をついてやろう。

 

偽ったからといって嘘になるとは限らないし、本音を言ったからって、それが直接真実でもない。 ただ、悪意なんて一つも持たずに、思いつく限りの素晴らしい嘘を書いていこうと思います。誰かの真実になりうる嘘を、僕もついてみたい。

 

言葉にこそ全てがあって、言葉にできないものなんて何一つ信じない。そんな幻想の中で死んでいくことに決めたから、やっと現実に一歩踏み出していける。

 

ただ、幕を下ろすにはドラマが足りない。ペンを置くにはインクが余ってる。

 

さあ、どんな嘘を書こう。                     2019.5.16